2015年4月2日木曜日

個展はじまる

つつじヶ丘にあるダイニングバー「ハナコマ」さんで個展、「水に絵を描く」スタートしております!
開催早々、早速絵を購入してくださったお客さまがいらっしゃったとのことで大変感激しております。
ありがとうございます!!!

今回の個展開催に関して少し小話を、、、、笑

今回の個展は私の幼少期からの人生のテーマ、というかある種コンプレックスというかそうゆうものを惜しげも無く出しています。
幼い頃から「忘れる」「無くなる」「死」など、この世の中の終わりの事象に興味を持っています。
楽しい時間は何故あっという間なのだろう、大好きだった場所や大切な事を何故忘れてしまうのだろう、死って何だろう、、、などなど。
家族の死や動物の死、身近な死に出会うのが早かったのも原因のひとつかもしれません。
元気に動いていたものが物みたいに固くなって目の光が消えて中身ってどこ行っちゃうの?みたいな事をずっと疑問に思っていました。
いつかは自分にもそんな日が来ると、理解できずただただ怖かったのを覚えています。

0歳で保育園に入り、両親はもちろん色んな大人の手によって育てられました。
3歳になると左耳の聴力を失って初めて入院しました。病院の独特の雰囲気、優しい看護婦さん、検査から入院、点滴、毎晩両親が泊まりに来てくれたこと、なかなか眠れなかった事、退院の日、今でも鮮明に覚えています。小さいながらもなんとなく、色んな人の優しさや努力で自分が生かされていることを肌で感じていました。
そして私の周りの大人はみんな真剣で真っ直ぐな人たちばかりでした。誰1人として冷たい物みたいになって欲しくないと思っていました。あたたかいままで、いつまでも笑っていて欲しいと。

保育園〜小学校くらいの時は遠足や旅行、楽しい事が始まると同時にいつも終わった後の事を考えていました。
そして家の引っ越しで転校もしました。仲良くなりすぎるとお別れがつらいと思い、なんとなくぼ〜っと過ごしていたような気がします。
そんな色々によって、いつも同じ日は無いということ、いつか必ず来る大事な人たちとのお別れ、そう思うと一瞬たりとも逃したくない。そう思うのだけど意識と裏腹に毎日は淡々と過ぎていく。どうしたら良いんだ、忘れたくない、、、という思考が発達しました。そのせいか幼少期の記憶がびっくりするくらい鮮明にあります。

((それが人生よ、それが生きるってことよ、そんなこと考えないで素直に今を楽しみなさい))
今はよく理解できます。昔より諦めもついて楽しむ事を覚えました。
でもやっぱり大人になった今でも捉えておきたいものがあります。私が忘れたくないのです。
自分の背中を押してくれた気持ちや景色や空気がすごい勢いでやって来てはすり抜けていきます。
その中の1こでも良いから形にしていつでも取り出して見ることができたら良いのに。

素晴らしい景色も優しい時間もいつか感じることができなくなる日がやって来る。
せっかく絵を描く楽しみや苦しみを与えてもらったのだから、私はこうゆう思いを絵にぶつけたらどうか、そしたら嘘がないし、自分自身ももう少し生きやすくなれるのではないか、そう思ったのです。
それが表現の道に進んだ大きな理由かもしれません。

この年齢になって(もうすぐ30歳になります)ものすごい葛藤があります。
うまく伝えられる自信が無いのですが、誤解を恐れずに言うと、「嘘がない場所で嘘の無い行為をしたい」のです。
綺麗事ではなく本気でそう思っています。
それは他人に求めるのではく、自分の中で「嘘がない場所で嘘の無い行為」を循環させる事をしたいのです。
自分の目で見て触れて実際に感じたことで作品を制作し、その瞬間を他者と共有し、そこで双方に利益が生まれ、私はその利益によってまた次の瞬間に向かっていける。自分にとって嘘が無いなと思います。


人生は「水に絵を描く」ような行為の連続だと思っています。
つまり形を留めておけない消えていく儚いもの。であり、そんなもん。でしか無いということ。
でも描き続けたらほんの少しだけ停めておくことができるかもしれません。これは私の実験です。
実験を繰り返し、その少しの希望を追いかけ続けることで私は心底今を楽しんで生きていくことができるかもなあと思っています。




0 件のコメント:

コメントを投稿